俺のMarshall〜高崎 晃 編

アンプの王者“マーシャル”。
そのマーシャルが、今年で創立60周年を迎えた。ジム・マーシャルが生み出し、現在もハード・ロック/ヘヴィ・メタルの中心にあるマーシャル・アンプの60周年を記念し、WeROCKで連載していた“俺のMarshall”をアーカイヴ&追加取材でお送りしたいと思う。
まずはマーシャルの簡単な歴史とともに高崎 晃(ラウドネス)編をお届けしよう!


祝! マーシャル・アンプ生誕60周年!!

マーシャルの創設者であるジム・マーシャル(2012年逝去/写真)は、当初、ドラマーとして活躍しており、自ら開いたドラム教室に通う生徒に楽器を販売するために、1960年、息子のテリーとともに“Jim Marshall&Son”というドラム・ショップを西ロンドンに開店する。これが、マーシャルの起源と言えよう。
その後、ショップに来るドラマーが連れてくるギタリストが良質なギター・アンプを探していることを知ったジムが、ケン・ブラン、ダッドリー・クレイヴンという2人のエンジニアとともにオリジナルのギター・アンプの開発に着手。フェンダーのベースマンを手本に、プロトタイプの製作を重ね、6台目の試作機でマーシャルが追い求めるサウンドに辿り着いた。
1962年、マーシャル・アンプが誕生した瞬間だった。
その5台目の試作機を弾いていたのが、ピート・タウンゼント(The Who)だったというのは有名な逸話だ。
ジムは、その最初のマーシャル・アンプに、ジムの“J”、息子テリーの“T”、マーシャルの“M”を取り、設計上の出力である“45”という数字を並べて“JTM 45”と名付けた。その後、JTM45はルックスや回路を変化させ、50wモデル(JTM50=のちの1987)、100wモデルへと進化を遂げ、大音量と過激なディストーション・サウンドが要求されだしていく。
1965年にはエリック・クラプトンのリクエストによりマーシャル初のコンボ、1962(ブルースブレイカー)が誕生し、翌年には今でもマーシャル・アンプの代名詞的な100wヘッド”1959″を発表。マイナーチェンジを繰り返しながらも半世紀以上にわたってほぼ原形のまま製造され続けたということが、1959がいかに完成されたギター・アンプだったかを物語っている。
さらに、現在でも世界中で多くのギタリストに愛用されているのが、12インチ×4発のキャビネットである1960A&Bだ。こちらのモデルも、ジムのアイディアがふんだんに盛り込まれており、約60年前と変わらない形で現在も発売され続けているのだから、驚異としか言いようがない。
70年代にはディープ・パープルやレッド・ツェッペリンなどに代表されるハード・ロック・バンドが使用することで、マーシャルはアンプ・ブランドのトップに君臨する。
その後もマーシャルは、時代や音楽のニーズに対応し、JCM800、JCM900、JCM2000、そして現在のJVMとつねにシーンの中心でロック・ギター・サウンドを支え続けているのは、ご存知のとおりだろう。
ロックの歴史とマーシャルの歴史は、並行して歩み続けているのだ。


マーシャルがなかったら、ロックの歴史が違うものになっていたかもしれない

高崎:俺がマーシャルを使い始めたのは、77年とか78年の頃、レイジーの時代だね。当時のブリティッシュ系のハード・ロック・バンドは、だいたいマーシャルを使っていたから、それでマーシャルがいいなと思ってユニット3と呼ばれるモデルを借りたんだけど、音がデカくてね(笑)。その当時のキャビが、今でも使っているものなんだ。スピーカーは、何回か入れ替えたりしているけど、箱自体はそのまま。
そのユニット3は、マスター・ヴォリュームがない時代のものだったし、ヴォリュームも2から10ぐらいまでは、ほぼ音量が変わらないんじゃないかというモデルだった(笑)。じゃっかん歪みが増えるぐらいで、2ぐらいからいきなり音量がデカくなるんだよね。
4インプットのモデルを使う時って、よくインプットを(インプット1と2を)リンクさせたりするでしょ? 俺は、その音があまり好きじゃなかったから、あまりそれはやらず歪み系のエフェクターも使わずに4インプットの1の上側に差して弾いてた。

ラウドネスの初期の頃は、そのマーシャルでレコーディングもライヴもやっていてキャビネットのスピーカーをサイドワインダーに変えたのが、アルバム『THUNDER IN THE EAST』(85年)の前後だったかな。モトリー・クルーとツアーした時、ミック・マーズの音が、かなり太い音をしていてね。マーシャルを見たら、見たことのないスイッチとかツマミが付いていてさ。
で、ヴァン・ヘイレンのアンプも改造しているというホゼ(・アルダンド)を紹介してもらったんだ。彼に改造してもらったマーシャルでは、『SHADOWS OF WAR』(86年)を録ったんじゃないかな。第3期ラウドネスのアルバム『LOUDNESS』(92年)のレコーディングでは、マーシャルではなくロックトロンのPRO GAPを使ったりしたけど、その頃からマーシャルのJMP-1も使い始めて。
当時は、ザクザクした音が好きでミドルを下げ目にセッティングしてたかな。当時、いろんなアンプを試したけど、やっぱりマーシャルが自分には合ってると思ってきて、JMP-1がメインになった。MIDIも使えるし、すごく便利で、そう考えると今のセットに落ち着いたのが、第3期の後期の頃だから、もう30年近くになるんだね。

マーシャルの音はロックだよね。JMP-1が1Uのサイズでいろいろな音を作れるなんて、ふつうはムリがあった時代のモデルなのに、便利さうんぬんよりも、単純に音が気に入ってるんだ。JVMをはじめ、最近のマーシャルもよく試すよ。最近のマーシャルを車に例えると、誰でも運転できる乗りやすい車という感じ。昔の車はヤンチャだったでしょ。その変わり、ちゃんと操縦できた時は、その快感も大きかった。
マーシャルって、後ろにあるだけで安心感があるんだよね。“今日もデカイ音をごきげんに出せて幸せだな”って思う。ロックの激しさや荒々しさを、いつの時代も持ち続けているのは、マーシャルだけの魅力だよね。
これまでもいろんなアンプを使ってきたけど、どのメーカーのヘッドを使っても、唯一、変わらず使ってきたのがマーシャルのキャビなんだ。このキャビで鳴らせば、どんなヘッドを持ってきても、だいたい自分の音が出せると思う。キャビって大きければいいというものでもないし、マーシャルのキャビは深さもすべてがちょうどいいんだ。音がめちゃめちゃ遠くまで飛ぶしね。
マーシャルを使いだして44年ぐらいたってるけど、ホントにマーシャル・アンプがあってよかった。マーシャルがなかったら、ジミ・ヘンドリックスだって、ああいう風にはならなかったかもしれないし、ロックの歴史自体が違うものになってたかもしれないよね。ギター・ヒーローという概念もなかったかもしれない。それぐらいの大発明だと思うんだ。この先も、ずっとロックの歴史を支えていくようなアンプ作りをやり続けてほしいですね。

▲プリアンプは、おなじみのJMP-1(上から2&3台目)。
5月のツアーでは、サブのパワー・アンプとして9200が用意されていた!

おなじみ! 高崎 晃のマーシャル・キャビネット。
レイジー時代から使用しているもので、左がBキャビでドライ音を、右がAキャビでエフェクト音を出力

JMP-1のセッティングを公開!(メイン歪みのセッティング)

※WeROCK 042(2014年8月発売号)での特集をもとに追加取材しています。